Keep your feet on the ground and don’t be afraid to embark on the path that’s best for you.
大リーグ・シアトルマリナーズのイチロー選手は昨年、9年連続200本安打を達成するという偉業を成し遂げました。毎年次々と記録を打ち立てていく彼の凄(すご)さには、今さらながら驚かせられますが、その記録を打ち立てる才能とはいったいどこから来たのでしょうか。
イチロー選手は毎日同じ時間に食事をし、家を出て、同じ時間に球場に入り、トレーニングをしてから試合に臨みます。日々の生活をパターン化することによって、自分自身にしか感じ取れないコンディションのわずかな変化に気づくことができるそうです。自身の不調をより早く自覚することにより、次の試合までに調整が可能となり、その結果が高打率を生み出しているのです。他の選手はそれに気づくことが出来ず、俗に言うスランプにぶつかり、大幅に成績を落としてしまいます。
果たしてそれは野球選手に限ったことでしょうか。私たちの心も同じことが言えます。僅かな隙から驕慢心(きょうまんしん)、つまり驕(おご)りの気持ちが起こり、何をやってもうまくいかずにいつの間にか大きなスランプに陥っている方が多いかと思います。
私たちにとってその心を修正するという行為とは、日々の生活の中で犯した懈怠(けだい)の気持ちを悔い改めることではないでしょうか。ところが、その気持ちはなかなか自ずとは生じません。そのために先人は朝一番に仏壇や神棚に手を合わせ、寺院や神社、または教会に出向いていました。大いなる存在に向かうことによって、改めて己の未熟さや、至らなさを痛感することになります。そこから生み出される「慙愧(ざんき)」、「懺悔(さんげ)」という気持ちによって、自らの心のスランプから脱却することが出来るのです。
法然上人も「九条兼実の問に答ふる書」の中で「たとひ決定往生の信心を起こすとも、其後、又称念する事なく、ならびに小罪なりとも、これを犯して後懺悔せずば、敢えて往生を遂がたく候歟」として、必ず極楽往生が出来るという信心が起こったとしても、それ以降お念仏をとなえることなく、罪を犯しても懺悔しなければ、往生を遂げ難(がた)くなってしまう、と述べておられます。
イチロー選手のようにどこまでも自分自身を追い込み、徹底的に自己を省みる日々を送った結果が、いつしかメジャー大記録を生み出すように、私たちが日々習慣付けた結果こそがいつの間にか人格を形成する礎(いしずえ)となっていくのです。
(東京都練馬区・迎接院副住職 藤木随尊) |